築城年代は定かではないが長野氏によって築かれたと云われる。
永禄11年(1578年)毛利氏が大友方であった長野氏を攻め、宮山城(稗畑山城)を攻略、一時取り戻されたが再びこれを攻め落としている。
稗畑山城は小倉南icの南方に聳える標高234mの山に築かれている。
主郭は山頂にあって南北に長く、北下に三段の広い曲輪があり、北端は淵に低い土塁が付く。主郭南端西側に堀切があり、西側面には畝状竪堀と一条の大きな竪堀がある。北は土塁の付いた曲輪の下に幅広く弓形に遮断する堀切がある。
主郭部から北へ降ったところに低く四段ほどに造成された平段があり、北端は高い切岸となっている。後世の改変ともとれるが城郭遺構であるようにも思える。
北尾根に鉄塔があり、その巡視路の入口が東の谷間の部分にある。北西麓にある西大野八幡神社の北側からも登山道があるというが未確認である。
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