文禄3年(1594年)宮城豊盛(宮木長次郎)によって築かれたと云われる。 豊後の大友義統が改易となった後、豊臣秀吉の蔵入地となった豊後の日田郡と玖珠郡の管理を宮城豊盛が支配し、五千石を賜った。このとき、築いたのが日隈城である。
慶長元年(1596年)毛利高政が二万石の所領を賜って日隈城に入り、五重の天守を備えるなど城を改修した。関ヶ原合戦後、毛利高政は二万石で佐伯に移ったが、引き続き蔵入地の管理を任され毛利隼人佐が代官として在地した。寛永16年(1639年)天領となった日田地区の代官所は月隈城へと移り廃城となった。
日隈城は三隈川が分流する地点にある比高30m程の日隈山に築かれている。
天然の川を堀とした城で、山頂の主郭には日隈神社が鎮座している。かつては五重の天守があったと云われる日隈城であるが、現状では大きく三段の曲輪があり、公園となってい。唯一近世城郭を思わせる遺構が南西麓にある大手虎口で、石段を登って右折れで入って行く。
亀山公園の駐車場がある。
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