築城年代は定かではない。
城主は石松氏で日田大蔵氏の庶流という。日田八奉行の一人石松肥前守廉正は元亀元年(1570年)に大友義鎮に従って龍造寺隆信を攻めたとき、新原民部がともに出陣して討死したという。
蕪山城は標高151.2mの山に築かれている。
北側にあるローレル日田ccによって北東側にあった曲輪が一つ消滅しているようで、現状では南北二つの曲輪が残る。
北が主郭で概ね土塁が付いており、曲輪は広い。虎口は西中央、北東、南の三箇所にある。北は食い違い気味の虎口、西は左折れで入る虎口、南は大空堀に土橋が架かる虎口となっている。主郭の南は大きな空堀で、南西尾根にも堀切がある。南の曲輪は墓地になっており、中央に堀底状の道が通っている。
ローレル日田ccの方に向かって北上していくと右側のコンクリート法面に鉄の階段が設けてある。これを登ると堀底道があり、それに沿って進むと主郭の西虎口に居たる。(地図)
もう一つ南からの尾根道がある。(地図)
最寄り駅(直線距離)