寛永16年(1639年)池田由成によって築かれた。 天城池田氏は岡山藩池田氏の家老職で三万二千石を領し、初代は池田輝政の甥にあたる池田由之である。
備前国下津井城代、播磨国赤穂城代、伯耆国米子城代などを務めた由之の嫡男が由成で、備前国下津井城代であったが、一国一城令によって廃城となるに従い天城陣屋を築いた。
池田由成の娘との大石良昭との間に生まれたのが忠臣蔵で著名な大石内蔵助で、由勝の時代に元禄赤穂事件が起こり、大石内蔵助の縁者であることから二千石を減封され、以降三万石の所領となった。
天城陣屋は倉敷天城高校のグラウンドの所に築かれていた。 東側の道路からコンクリート舗装された細い道を登るとネットが張られたグラウンドがあり、この入口に天城陣屋跡の標柱と御茶屋跡の石碑が建っている。
天城池田家墓所が天城高校の南、遍照寺の北側の丘陵(地図)にあり、北には池田由之が開祖で池田の墓所もあるという海禅寺(地図)、陣屋門が移築現存している静光寺(地図)などがある。
城門(移築 城門)