『芸藩通志』には「勝山 宮内村にあり、渋川氏が所居、後に美生村、小童山に移るといふ、」とある。
城主は室町将軍足利氏一門の渋川氏の一族であった。はじめ勝山城を居城としていたが、大永6年(1526年)に渋川義陸が小童山城を築いて居城を移したという。
勝山城は御調八幡宮の北東、広福寺の東背後にあり、北へ伸びた尾根の先端頂部に 築かれている。
南北二段の小規模な城で、南背後を堀切で遮断している。主郭Iは南北に長く南端に土塁があるが虎口は見当たらない。
北下に曲輪IIがあり、地形に沿って不整形に削平されており、主郭よりやや広い。南東部に竪土塁状の地形を残しており、現状その外側に主郭側面を迂回して入る山道が接続している。
広福寺境内の北側のお堂の裏から堀切に登る道がついている。広福寺境内下に駐車可能だが、御調八幡宮にはトイレのある広い駐車場がある。
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