築城年代は定かではない。 文応から文永(1260年〜1274年)頃に山名氏正の居城であったと云われる。
その後の動向は定かではないが、小早川隆景が三原城を築いたときに詰丸として整備されたとも考えられている。
桜山城は三原城天守台の北東に聳える標高175mの山頂に築かれている。 三原城との間には中世山陽道が東西に通っており、城下を見下ろす位置にある。
桜山城は南北に伸びた尾根に沿って曲輪を展開し、南端が一番低く、北端に向かって段々高くなっていく。
南端の曲輪にはu字状の溝が残るが用途は不明。中央付近には大きな井戸が残り現在も水を貯えている。北半分は東西両側に土塁が付いており、一部石積になっている。北端の曲輪は土塁が巡り、南に開口部、中央には石塁が残る。
北端の曲輪を北へ降りると二条の堀切を経て山腹の北郭に至る。この曲輪が特徴的で周囲に土塁を配しているが内側は低い二段の石積になっている。その北下にある堀切は岩盤を垂直に断ちきったもので、部分的に石積がなされている。この堀切から西山腹、東山腹に向かって横堀状の遺構があり、東側には畝状竪堀群が残っている。
三原城天守台北側の旧山陽道を東へ進むと、神明大橋西詰に三原城東大手門跡の石碑がある。この脇から北へ向かって細い路地を入っていった所に登山口(地図)がある。
東大手門跡から道標が出ているのでそれに従えばよいが、登山口付近には駐車場はない。少し離れるが三原バイパス中之町高架橋下付近にある小公園近くに路駐することができる。
最寄り駅(直線距離)