築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)田坂氏によって築かれたと云われる。 田坂氏は小早川春平が応永年間に下野国から招き、小坂郷の地を与えられここに居住したことに始まる。
天文13年(1544年)毛利元就の三男隆景が竹原小早川氏を継ぎ、更に沼田小早川家を継ぐにあたって、家老田坂善慶は異を唱えるが高山城内で日名内玄心の奸計によって討たれ、その後小早川氏によって攻められ落城した。
城は標高152mの山頂部にあり、東側の尾根を堀切で断ち切って、南北に三段の削平地がある。
西側には今でもつづら折りの登城路が残っており、それを降って行くと小郭があり、その東側に弓なり状の堀切が残っている。さらに降った所にも小郭がある。
県道344号線を北上し県道155号線との交差点で、京覧カントリークラブを目指して東へ、坂を登りはじめた頃に右側に注意すると山へ入って行く道があり、そこから登る。一応未舗装の車道が付いているが一般車は侵入不可で入口にチェーンが張っている。
西麓から登る道は比較的良好に残っているが、登口は道路に面していないのでわかりづらい。
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