築城年代は定かではない。 沼田小早川氏の九代春平の三男時春が沼田郡梨羽郷を与えられ、梨羽氏を称したことに始まる。
関ヶ原合戦後、毛利氏が防長二ヶ国に減封となり萩へ移ると、それに従ってこの地を去り廃城となった。
城は標高179.1mの山頂部に築かれ、南西方向に三段の削平地がある。南西側尾根に堀切があり、南側に畝状竪堀群が施されているが、雑木が生い茂っていることもあって、わずかに窪地が確認できる程度である。
県道59号線沿いに道標が出ているおり、山頂部が整備されているので木の葉が落ちている季節であれば遠目に見ても場所はすぐにわかる。 登り口は大手側が東側の常徳寺を北の谷に入った所、搦手側が西側の北方小学校の所で、案内板は搦手側、登山道も搦手側の方が整備されているようである。
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