築城年代は定かではないが元享年間(1321年〜1324年)に宮地次政によって築かれたと云われる。 応永30年(1423年)宮地恒躬の時、大平山城の木頃経兼に急襲され落城、恒躬は討死し、恒躬の子明光は因島村上氏を頼って落ちたという。
城は国立公園 鳴滝山の南東にある標高322mの支峯に築かれている。 主郭は南北に長く、南端には龍王祠が奉られていたが現在は崩壊して屋根部が落ちている。北東下にある曲輪は主郭側に堀切があり二重堀のようにも見える。
北西側は墓地や畑となっており、石積があるがおそらく畑を造成した時のものと思われる。