備後 宮地大炊助館びんご みやちおおいのすけやかた
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応永30年(1423年)鳴滝山城主宮地恒躬は大平山城の木頃経兼に急襲され落城。恒躬は討死し、子明光は因島村上氏を頼って落ちたという。この宮地大炊助明光は初め天神山城に居たが、後に大江城に入りその麓に居館を構えたという。
宮地大炊助館は中庄公民館付近にあったというが遺構は残っていない。 公民館の裏にある恩山寺にはかつて因島宮地家初代宮地大炊助明光と二代大炊助資弘夫婦の五輪塔があったが、これは現在金蓮寺に移されている。