詳細不明。城主は片山数馬と伝えられる。 数馬は船奉行で百十五貫を領した。
百梵山城は島前城のある土生地区から千守城のある三庄地区に至る峠道の南側に築かれている。
主郭は峠に面した北端の頂部であるが、非常に狭く南側は緩やかに傾斜している。北側へは南北に長い削平地があり、峠に向かって雛壇状に幅1m程の段が続いている。 南の尾根は果樹園があったのであろうが荒廃している。果樹園との境付近に黒っぽい石の石積があるが、後世のものだろうか。
北側から山に入れそうな場所があったのでそのまま直登した。背後の果樹園も荒廃しているので、西下にある農道を使うより容易に登ることができそう。