築城年代は定かではない。 南北朝時代に因島村上氏が最初に因島に築いた城と伝えられる。 その後180年間本城として使用され、弘治3年(1557年)村上新蔵人吉充が向島の余崎城へ移るまで続き、その後は村上吉之が城主となったという。
村上氏が因島を領した年代は定かではないが、金蓮寺棟札に村上吉資の名が残ることから宝徳元年(1449年)には因島村上氏が竹原小早川庶家の小泉氏に代わってこの地を治めていた。
長崎城は因島の南部、生名島との海峡に面した半島の丘陵に築かれていた。 現在は城山に「ナティーク城山」というホテルが建っている。先端部には桟橋のピット穴が残っていたがこれもコンクリートによって埋められた。