築城年代は定かではないが柚谷新三郎元家(湯谷又八郎久豊)によって築かれたと云われる。
萩原城の支城として築いたもので、元家の子である湯谷又左衛門実義に守らせた。 永禄12年(1569年)毛利隆元を毒殺した疑いで和智誠春と柚谷元家は厳島に幽閉され、誅殺された。これによって毛利の追討軍が和智氏の城へと向かうとの知らせを受け、福山城では湯谷実義が家臣二十八名とともに自刃して一戦も交えることなく落城したという。
福山城は北へ伸びた丘陵に築かれている。灰塚ダムの「モミジ山」と記されている山が城山である。
福山城は山頂に南北に長い主郭があり、北は一条の堀切を経て数段の平段が階段状に続く。南は三条の堀切があったようであるが、現状では二条しか確認できなかった。南には車道が通っているので消滅したのかもしれない。
南西側にモミジ山の駐車場がある。周囲に遊歩道が付いているが山へ登る道は付いておらず、駐車場から少し北へ歩いた所から重機によって切り開かれた道を使って登ると背後の堀切に至る。
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