築城年代は定かではない。永禄・天正年間(1558年~1592年)の城主は土師兵部尉であった。当初、虎倉城主の伊賀氏に従っていたが、後に宇喜多氏に従ったという。
菅野城は西へ伸びた比高20mほどの丘陵に築かれており、大山道に隣接している。
小規模ではあるが、土塁と石垣によって築かれた技巧的な縄張を持つ城である。
南からIV、III、II、Iと入るルートが大手と考えられるが、主郭Iの東端には食い違い虎口のような地形もあり、また北側にも出入りできるルートが存在している。
曲輪IからIIに至る虎口は石垣で固められ、曲輪IIの周辺は城内で最も石が地表面に露出している。IIの外側は横堀1であるが、この角は初期の算木積みらしき石垣で、曲輪Iの南東隅にも隅石と思われる加工された石が露出している。石は曲輪Iの西側面、北側面、曲輪IVの虎口に認められ、曲輪Iの西側土塁上には石列が確認できる。
入口は北側の農道側にあり木組みの階段が設けられており、そこから曲輪Iに祀られた祠への参道が付いている。