掲載写真数
形態
山城(587m/97m)
別 名
なし
文化財指定
町指定史跡
遺 構
土塁,郭,井戸
城 主
田中氏,難波氏
歴 史
築城年代は定かではないが鎌倉時代後期に田中盛兼によって築かれたと云われる。
天正2年(1574年)三村氏に属していた田中直重は、毛利氏によって攻められ
松山城へと退いた。
その後は毛利氏の部将難波親俊が城主となった。
説 明
矢倉山の山頂にあり、曲輪は周囲を低土塁で囲んでいる。
単郭で二段になっているとされるが、内部は背丈を越える草で覆われ踏み込む事を躊躇する。
虎口は西側に設けられ、南の尾根が登ると矢が掛けられるように屈折させている。
東の虎口を下りたところに直径3m程の凹みがあり井戸跡と思われる。
案 内
南側の納地から上竹へ抜ける峠から山頂に向けて山道がある。
車道ではあるが、道も狭く駐車スペースがない為、下の広い道に駐車するしかない。最寄り駅(直線距離)
7.5km 木野山駅
9.3km 備中高梁駅
9.6km 備中川面駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年11月