詳細不明。城主を在地領主の河辺平太通綱とする説があるが、現在の縄張りは戦国時代のものである。
※このお城はほぼ消滅しました。
南山城は小田川が高梨川と合流する地点の南側にあり、東へ伸びた尾根の先端に築かれている。近く河川の付け替え工事を実施する計画があり、それを実施するとこの城は山ごと消滅してしまう可能性が高いという。小規模ながら畝状竪堀群を多用し、横矢も発達した城であり、消滅してしまうのは非常に惜しい。もし興味を持たれたならなるべく早く見学することをお勧めする。
南山城は単郭の城で中央に南北の土塁1を用いて東西に曲輪を分けている。城の正面はおそらく西で、そちらから攻めてことを想定していると思われる。西に数十m離れた所に切通道があり、これが関係するのかもしれない。
曲輪を東西に分ける土塁は中央部分が幅広く櫓台状に高くなり、北下に東郭(i)と西郭(ii)を行き来する虎口がある。西郭(ii)はこの他、南下にある腰曲輪(iii)に至る虎口、北側面に出ていく虎口がある。
西尾根は西郭(i)の高土塁2があり、北や南の連続竪堀に対して横矢が掛かるよう張り出しがある。西下の空堀は深く、そこから西へ続く尾根に二条の空堀(堀3)を設けている。この空堀は南が二重、北は一重となっている。堀は土塁下の大空堀に比べて浅いが、背後の尾根は高低差が少なく、こちらから攻めてきた敵は遠くから城内の兵に察知され、この浅い二重堀と深い堀切を障害物として城内の兵から狙い撃ちされることとなる。外側の堀が浅いのは、敵がこれに隠れてしまわないようにとの狙いからであろう。
南側面が非常に厳重で、畝状竪堀1と2を配している。畝状竪堀1は十条ほどありそうだが、非常に浅く現地で良く見ないと確認できないほどである。一方畝状竪堀2は明瞭で、背後の堀切から伸びる竪堀と併せ9条の連続竪堀となっている。
東側にあるのが堀1であるが、東側の尾根は完全に遮断するのではなく、南北に竪堀として落ちている。
2019年1月に現地説明会が催されたので見学に行ってきました。小規模な曲輪が三つあるだけで城兵は10〜20人程度と思われますが、それでも曲輪iとiiの間にある虎口から門礎石が見つかったのは驚きでした。治水工事のために山ごと消滅する運命です。昨年の真備地区の水害を目の当たりにするとやむを得ないとは思いますが、やはり勿体ないというのも正直な気持ちです。消滅まであとわずかですが、もう一度見学会があるでしょうか...
2019年9月に最後の現地説明会が開催されました。南側面の畝状竪堀群が発掘され腰曲輪の南下にあった不明瞭な畝状竪堀群も立派に掘り出され、その東側には地表面では確認できなかった新しい畝状竪堀群も確認されました。西の堀切の一部は残るようですが、ほぼ完全消滅してしまうようです。
東下を通る県道の上に小さなお堂がある。このお堂の左からよじ登ればすぐに城域に入る。お堂の辺りに余白があるので駐車可能。
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