築城年代は定かではないが藤原氏によって築かれたと云われる。
宍喰の祇園山城の支城であったが、永正年間(1504年〜1521年)に藤原持共が吉野城へ本城を移した。元亀2年(1571年)頃、海部将監藤原友光のとき海部城を築いて居城を移しており、吉野城には海部氏の一族が置かれたと考えられている。
海部城は天正3年(1575年)に長宗我部元親の侵攻によって落城しており、このときに吉野城も落城したと考えられている。
吉野城は覚成寺背後の標高100mほどの山に築かれており、主郭には神社が祀られている。南麓には吉野城居館があった。
単郭の山城で主郭の南北両尾根を堀切で遮断した単純な縄張りである。南尾根は岩盤の露出と参道による劣化が大きいが、中央を土橋として残し両側に竪堀が落ちている。一方北尾根はやや規模の大きな堀切で遮断しており、それより北は緩斜面となる。
登山道は覚成寺の東隣にある杉尾神社の社殿東側で、主郭まで整備された山道が続いている。
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