築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)はじめに筒井順昭によって築かれたと云われる。
筒井順昭が筒井城(平城)の詰城として筒井山ノ城を築いたが、これが椿尾上城であったと考えられている。
永禄2年(1559年)松永久秀によって筒井城が陥落すると筒井順慶は国中から追われた。このときも椿尾上城は筒井方の城として拠点の一つとなっている。
椿尾上城は標高528.7mの城山山頂に築かれている。 主郭は山頂北端にあり、そこから西側へ伸びた尾根に曲輪を展開する。
主郭は山頂北端で一段高く、五社大明神が祀られている。南側に空堀があり土橋が架かって主郭へ通じる。主郭の南西尾根は切岸加工された広い曲輪があり、中央が一段高くなっている。
西尾根の曲輪は東端頂部に社が祀られた櫓台があり、そこから伸びる土塁は外側に石積がなされ、屈折して曲輪となすが、内部は凹んだ地形が残る。西下は鈎状に屈折した横堀で、その先には北西側に向かって段々と平段が続き、北側はスロープが付いている。この辺りも石積が残る。西尾根の先端は堀切があり土橋が架かるがその先は不明瞭である。 一方、南側の山腹へは雛壇状に腰曲輪が連なり屋敷跡のようになっている。
南西から南山腹にかけていくつか畝状竪堀群があり、東側は林道沿いに竪堀や横堀がいくつも確認でき複雑な地形になっている。
道標は全く出ていないが、南の中畑町側から城山方面に向かって登っていく車道の終点まで車で行くことができる。(登山道入口)
車道の終点はチェーンで通行止めになっているが、その脇から山へ入る林道があり、それに従って行くと城山に至る。
最寄り駅(直線距離)