大和 高取城やまと たかとりじょう

城郭放浪記


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大和 高取城の写真
掲載写真数
形態
山城(583m/390m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀,井戸
城 主
越智氏,本多氏,植村家政,植村家貞,植村家言,植村家敬,植村家包,植村家道,植村家久,植村家利,植村家長,植村家教,植村家貴,植村家興,植村家保,植村家壷
歴 史

築城年代は定かではないが南北朝時代に越智氏によって築かれたと云われる。

その後、天正8年(1580年)織田信長によって出された破城令によって一度は破却されたが、天正12年(1584年)筒井順慶によって再建された。同年順慶が没して定次が家督を継ぐと、筒井氏は翌天正13年には伊賀国上野へ転封となった。

筒井氏の後は秀吉の弟羽柴秀長が郡山城に入封し、その家臣家臣本多利久に二万五千石が与えられ高取城主となった。 関ヶ原合戦で本多氏は徳川家康に属して所領は安堵されたが、寛永14年(1637年)本多政武が没すると嗣子なく断絶となった。

寛永17年(1640年)植村家政が二万五千石の大名として入封し、十四代続いて明治に至る。

説 明

高取城は標高583.9mの高取山山頂に築かれている。三大山城(備中国松山城美濃国岩村城)のうちの一つであり、城下町から約3kmも離れた山に築かれているのが特徴である。 江戸時代初期はこの山城に藩主を始め家臣団が居住していたが、寛永年間(1624年〜1644年)末頃から麓にある「ゴテンアト」に下屋敷を築いて居住した。

高取城は本丸の北西隅に三重天守、南西隅に同じく三重の小天守を備えていた。本丸の西に二の丸、二の丸北に三ノ丸と続いていた。本丸、二の丸周辺は近世の高石垣によって固められ、公園として良く整備されている。しかし、北へ続く曲輪などは余り手入れされておらず樹木が茂っており、かつて家臣団の屋敷があった曲輪などが埋もれている。



二の門の写真

二の門(移築 城門)


所在地: 子嶋寺(奈良県高市郡高取町大字観覚寺)

火薬櫓の写真

火薬櫓(移築 櫓)


所在地: 個人宅(奈良県高市郡高取町上子島)

松ノ門の写真

松ノ門(移築 城門)


所在地: 高取児童公園(奈良県高市郡高取町下子島)

案 内

車の場合、国道169号線清水谷交差点から県道119号線に入り、壷阪寺を過ぎて終点まで行くと高取城の大きな案内板が設置された入口に至る。ここからだと比高は100mに満たない。

徒歩の場合、城下町から植村氏の菩提寺である宗泉寺を経由して登る大手道が利用できる。さらに下山は壷阪寺を経由して戻るルートがあり、高取町観光ガイドを参考にすると良い。 車の場合でも高取幼稚園付近に観光用の無料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
3.8km 壺阪山駅
4.1km 大和上市駅
4.3km 六田駅
4.7km 吉野神宮駅
4.8km 飛鳥駅
所在地/地図
奈良県高市郡高取町上子嶋
付近の城(直線距離)
3.7km 大和 観覚寺城
4.0km 大和 祝戸城
4.0km 大和 矢走城
4.0km 大和 竜在城
4.1km 大和 矢走西城
4.2km 大和 松山城
4.4km 大和 平田遺構
4.5km 大和 岡城
4.5km 大和 六田城
4.7km 大和 佐田城の口城
4.7km 大和 野口吹山城
4.8km 大和 野口植山城
4.9km 大和 佐田城
5.1km 大和 丹治城
5.4km 大和 飯貝城
5.6km 大和 山口城
5.6km 大和 曽羽城
5.6km 大和 五条野城
5.9km 大和 飛鳥城
6.1km 大和 貝吹山城
6.1km 大和 雷城
6.3km 大和 奥山城
6.5km 大和 雷ギヲン城
6.6km 大和 竜門山城
最終訪問日
2018年7月
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