築城年代は定かではない。
『南路志』によれば、潮江天満宮の天文19年3月25日棟札に大檀那として片山半兵衛、長久兵衛などか記されており、潮江城主と考えられる。この頃は本山氏がこの辺りを支配しており、片山氏や長氏は本山氏に従っていた。
その後、長宗我部氏と本山氏が争うようになると、はやくに潮江城は長宗我部氏のものとなり、森近江守頼実の子孝頼に与えられた。
潮江城は筆山公園の山頂部に築かれている。現在は公園整備されており山頂近くまで車で行くことができる。
公園や墓地として造成されているため、旧状が不明なところもあるが、概ね遺構は確認できる。
主郭は山頂部Iで南端に幅広の土塁を備えている。南東下には屈曲した土塁を備える曲輪IIがあり、北端は横堀4、西は帯曲輪に繋がる。
主郭Iの北山腹には曲輪III、IVがあり土塁を伴う。さらに下方に曲輪Vがあり、このあたりまでが城の曲輪として判別可能である。
山頂から東へ伸びる尾根には堀切3があり、南側は二条の竪堀として伸びているので二重堀切であっただろうか。北東山腹には畝状竪堀群2があり、長い竪堀が伸びている。下方は屈曲して続いているので山道となっていたもしれない。
曲輪Vの西脇には3条の竪堀があり畝状竪堀群1となる。
筆山公園でトイレや駐車場もある。ここから高知城を見ることもできる。
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