築城年代は定かではない。 もとは松田城と呼ばれ松田兵庫の居城であったが、後に依岡伯耆守が城主となり、天正3年(1575年)長宗我部氏によって攻められ落城した。
慶長6年(1601年)長宗我部氏に代わって山内氏が土佐に入部すると、山内一豊の甥山内可氏が六千石で入部し改修したが、一国一城令により廃城となり、江戸時代は宿毛土居が存続した。
宿毛城は松田川の西岸にある比高20m程の丘陵に築かれており、現在は石鎚神社の境内となっているが、神社は荒廃してしまっている。
山頂にある石鎚神社の境内が本丸で北端が一段小高くなっており櫓台のようである。この本丸部分が石垣造りで周囲に石垣が残っているが、特に北西隅が良好である。
現在は独立丘陵になっているがもともと北側は本城山と尾根続きで、本城はいざというときの詰として江戸時代は立ち入りが制限されていたという。
東側の川沿いにある県道に石碑や案内板がある。河川敷に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)