築城年代は定かではないが野田俊吉によって築かれたと云われる。 野田氏は七代長宗我部兼光の弟俊吉が野田氏を名乗った事に始まると云われる。
長宗我部元親の時代の城主は野田甚左衛門で、天正3年(1575年)幡多郡宿毛に移封になり、宿毛甚左衛門と名乗った。関ヶ原合戦の後、長宗我部氏が改易となると藤堂高虎に仕え千五百石を領したという。
野田土居城は下野田にある城八幡一帯に築かれていた。
現在周囲は宅地や水田となって遺構はほとんど残っていないが、城八幡が祀られている土台は主郭の北西隅付近の土塁である。城は居館を拡張した復郭の平城で地籍図によれば「詰」、東に「上村土居」、南西に「南二の塀」、南東に「南門」、北に「北二の塀」の地名が残る。