永禄7年(1564年)八木城主の内藤宗勝によって築かれたと云われる。
丹波守護代内藤宗勝が福知山盆地への進出拠点として築いたのが始まりとされる。 天正7年(1579年)内藤如安のときに織田信長の部将明智光秀によって八木城は落城し内藤氏は滅亡した。このとき一族の内藤正勝がこの甲ヶ岳城を拠点に再起を図ろうと逃れたが討死したという。
甲ヶ岳城は由良川南岸に聳える標高289.8mの甲ヶ岳山頂に築かれている。現在は山頂まで登山道が整備されている。
甲ヶ岳城は山頂の北東から南西に伸びた尾根上に空堀や土塁で区画された曲輪が連なっている。主郭は三角点のある北東端ではなく南西の峰で、神社が祀られている。南背後には土塁があり、そこから南へ二つの曲輪が続く。主郭の南下の曲輪は北西隅に土塁付いた虎口がある。南端の尾根から南へ続く山腹には巨大な竪堀が数条落ちており、屈折して落ちている。鞍部には土橋状の馬の背があり、両脇は巨大な堀のようでもある。
主郭から北東へ伸びた尾根には途中二条の空堀があり、それぞれ南東端と北西端に土橋が架かる。北東側の空堀に面しては分厚い土塁を設けている。北東端の曲輪は周囲が帯曲輪状になり、南山腹に巨大な連続竪堀ががある。
北東麓の中筋小学校の西にある常照寺入口(地図)の所に案内板が設置されており、ここから山頂まで登山道が続いている。
最寄り駅(直線距離)