築城年代は定かではない。
延徳元年(1489年)地侍の大槻氏、荻野氏が位田城に楯籠もると、守護代上原豊前守元秀、紀伊守賢家父子が丹波、摂津など十三カ国の兵を集めて位田城を攻めた。なかなか攻め落とすことができなかったが、翌延徳2年(1450年)11月に籠城側が自ら城に火を放ち落城したと伝えられる。
また城主は位田氏とも伝える。
位田城は由良川北岸に聳える標高212.1mの山に築かれている。東の最高峰を高城山、南西の低い山を低城山と呼んでいるようである。
位田城は高城山の主郭から南西に伸びた低城山方向に曲輪が連なり、主郭の北尾根に北曲輪群、南東尾根に「陣屋」、南東尾根の南端に二条の堀切が残る。この内、北曲輪群を除く遺構は城山を周遊する登山道で見学することが可能であるが、北曲輪群は激しい倒木と藪で主郭から行くのは困難である。
位田城の特徴は各曲輪に残る無数の畝状竪堀群であるが、残念ながら曲輪以外の部分は藪になっている部分が多く、これらを見て回るのは難しいようである。高城山にある曲輪は低い段差で削平も不完全なものが多い一方、低城山の曲輪は城内で最大でしっかり削平されている。
由良川に架かる位田橋の北詰に駐車できる。登山道は浄泉寺から登る西周りと、南東尾根から登る東周りが可能だが、東周りのほうが迷わないだろう。中位田公民館の所に「高城山案内マップ」という看板がある。
最寄り駅(直線距離)