築城年代は定かではない。城主は大槻佐渡守時春、大槻民部丞が伝えられる。
永禄3年(1560年)若狭の逸見駿河守宗近が栗城に攻めてきたがこれを撃退したと『東栗村城山軍記』は記す。
栗城は高台寺の北背後に聳える標高134.1mの城山に築かれている。現在は主郭部のみ草が苅られて整備されている。
栗城は山頂部の曲輪群と南山麓の曲輪群からなり、山頂部は山城、山麓は館跡とも考えられる。
主郭は山頂にあり、西へ伸びた尾根に段々と曲輪を連ねる。主郭の東尾根は一段の腰曲輪を経て堀切で遮断し、北山腹に畝状竪堀を設けている。西へ連なる曲輪群は西端部の西下に堀切を設け、南東尾根の曲輪の側面を横堀と堀切から伸びる竪堀で防御する。
山麓は竪堀と竪土塁によって東西に区画され、その間に土塁が付いた平段がある。大手口と思われる虎口は南西隅にあり、竪土塁と竪堀の先端から左折れで入るようになり、そのまま谷間の道を登り詰めると道は二手に分かれ、左へ行けば山城の西先端、右へ登れば主郭部へと達する。
主郭のみ整備されているが、ここへ至るルートは東の鞍部へ上り、水道施設の所から尾根伝いに山道が切り開かれている。
大手道と思われる道は高台寺の背後にあり、虎口から登っていくことができる。
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