築城年代は定かではない。城主は大槻氏で安国寺の寺役を務めた大槻左馬頭清宗から始まるという。
天正元年(1573年)織田信長の部将明智光秀に敗れて滅亡したと伝えられる。
高城城は梅迫駅の西に聳える標高298.7mの高城山山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり、かつては神社が祀られていたようだが建物は倒壊している。主郭の東背後は土塁と大堀切、北尾根は堀切と北尾根の西側に畝状竪堀群を設けている。主郭から南西下の曲輪、さらに西下の曲輪へと降りて行く道があり、かつての参道であろうか。この道はそのまま西尾根へと続いている。
西尾根に降ると小さく段切りされた曲輪があり、北西隅に右折れで入る虎口があり、外側に堀切が付いている。
かつての参道は西尾根へと続いているがどこから登るのかは確認していない。
東麓に久香寺があり、そこから東尾根の先端の愛宕堂を経て無線中継施設まで整備された山道がある。無線中継施設のフェンスを迂回すると尾根道があり、その先に主郭背後の大堀切がある。
最寄り駅(直線距離)