詳細不明。『丹波志』では城主を芦田小貝とする。また『塩見信男家所蔵文書』によれば、永正から大永のころに猪崎城主塩見氏の郎党が愛宕山での合戦で功を挙げ、丹波守護職細川高国から感状をもらっている。
愛宕山城は由良川と土師川が合流する地点の東方にある標高55mの愛宕山に築かれており、現在は愛宕神社の境内となっている。
比較的なだらかな山で愛宕神社境内周囲にはなだらかな地形が広がっている。本殿の北背後に土塁と堀があり北尾根の防御線となっている。土塁は中央が北に突出しており横矢を意識した折れと考えられる。境内の東側にもところどころ土塁状地形があるが、西側も含めて側面の切岸加工は少ない。
南側は参道によって破壊されているが、東西両側に竪堀が残されており、もともとは堀切となっていたと推測できる。
河川氾濫地帯に突出した丘陵上にあり、現状の遺構は一時的な陣城で、川を挟んだ北西には猪崎城、西には福知山城が存在しており関連が注目される。
南東麓に参道入口があり、駐車場もある。
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