寛文8年(1668年)京極高盛によって築かれた。 背後には豊岡城があり豊岡陣屋はこの居館部分に築かれたと考えられている。
寛文8年(1668年)京極高盛が丹後国田辺から三万五千石で入封し麓に陣屋を築き居城とした。 享保11年(1726年)京極高寛がわずか10歳で没すると除封の危機に陥るが、弟高永が一万五千石で家督を継ぐことを許され以後明治まで続く。
豊岡陣屋は現在の市立図書館一帯に築かれていた。図書館の前には立派な門が備わっているが、これは元々久美浜県の門として造られたものであるが、久美浜県と豊岡県の合併により現在の地へ移された。その後、久美浜は京都府、豊岡は兵庫県に分割されている。
豊岡陣屋時代の城下町は近くにある大石内蔵助夫人「りく子誕生地」にある、元禄15年豊岡城下町図に詳しい。城山の北麓に京極氏藩邸が描かれ、城山を取り囲むように武家屋敷が描かれており、豊岡城の平地部分を活用していたと思われる。
表門(移築 城門)
門(移築 城門)
門(移築 城門)