築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)に山名宗全によって築かれたと云われ「山名四天王」のひとり田結庄氏の居城である。
天正3年(1575年)10月の野田合戦で田結庄氏は轟城の垣屋豊続に攻められ落城し、田結庄是義は正福寺で自刃したと云われる。
鶴城は円山川東岸の標高112mの通称愛宕山に築かれている。城山は南西に伸びた尾根が首、北西及び南東に伸びた尾根を羽根に見立てて鶴の形に似ていることから鶴ヶ城と呼ばれている。
山頂南端に宝城寺がかつてあった広い曲輪があり、北は一段下がってその奥が階段状に高く曲輪になっている。北端の曲輪には東側に土塁が付き、北東に伸びる尾根には二条の堀切を設けて遮断している。その付近の東の山腹に連続竪堀を設けているが、余り明瞭ではない。
西の貴船神社に向かって伸びている尾根には北側に土塁を設けた曲輪が階段状に並び、先端の曲輪は三方を土塁で囲んで東側に屈折した虎口を設けている。
登山口はいくつかありますが、船町公民館脇から妙見堂を経由する道がわかりやすい。
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