詳細不明。城主は山名宗全の家臣茨木甚太夫であったと伝えられる。 「兵庫県の中世城館・荘園遺跡」によれば、この辺りはかつて穴見市場村と称しており、市場城がこの辺りで最大規模の城郭であることから、「校補但馬考」による山名氏の家臣三宅氏の居城穴見城がこの市場城ではないかとしている。
市場城は有庫神社の北方に聳える標高160m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり、そこから南と東へ伸びた尾根を中心に曲輪を築いている。 主郭から南へ伸びた尾根の曲輪は切岸が高く削平もしっかりしており、曲輪間を移動する通路も多く残されている。
東へ伸びた尾根は、北側が自然地形で大きく切岸となる地形を利用して馬蹄形の段を設け、北側に土塁を設けている。
山裾一帯に動物除けの柵が設けられており、入口が限られる。有庫神社本殿の背後を少し東へ進んだ所に柵の入口があり、そこから山に入ることができる。道はないが薮化している所もなく歩きやすい。
最寄り駅(直線距離)