詳細不明。弘安8年(1285年)大内庄下司香住孫太郎入道淨阿に関係する館跡と考えられている。
堀ノ内館は穴見川が一段小高くなった山裾に築かれており、背後には奥野城(東城)と奥野城(西城)がある。
堀ノ内館は北側の山裾から切り離すように土塁と堀を配しており、北東側は現在は溜め池となっているが、西側は折れて南側へと堀が続いている。おそらく東側も南に折れ、三方を遮断していたものと推測される。北側中央付近には土塁の開口部があり、外側の堀には土橋が架かる。
土塁の内側は北側が一段高く、さらに西側が少し高くなっている。南下の水田も館跡の一部であろうか。中央に不自然な張り出しがある。