築城年代は定かではないが芋川氏によって築かれたと云われる。
芋川氏は鎌倉時代から続く在地豪族で高梨氏に従っていた。応永11年(1404年)高梨左馬助が守護に叛いた国人一揆を起こすと、室町幕府は細川兵庫助する。このとき若宮城主であった芋川長知が自刃している。
永禄12年(1569年)頃には芋川氏は武田氏に従っており、信玄から芋川親正に宛てた書状で、上杉領との境に位置していたことが知られる。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると織田信長の部将森長可が北信濃四郡を支配するが、芋川氏はこれに従わず、上杉景勝を頼った。
若宮城は標高700m程の山に築かれている。現在主郭には神社が祀られており登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり周囲より一段切り立った急峻な地形にある。北西背後の尾根は二重堀切で遮断しており、この主郭から東、南東へ伸びた尾根に曲輪を展開する。
主郭から東へ伸びた尾根は堀切と竪堀によって厳重に遮断しているが、さらに降った所には尾根の北山腹に長大な堀とも竪堀ともとれる空堀を配しており、この城の最大の特徴となっている。(案内板にも記載されている宮坂先生の図面にある主郭北東下の堀切は一部間違っており、北尾根側に設けた堀切が抜けている)
主郭から南東へ伸びた尾根には堀切と曲輪が連なり、現在の登山道入口のある南東尾根の麓の部分に堀が残る。
東と南東尾根の間にある東山腹に「城」と呼ばれる畑となった大きな平段があり、この部分が屋敷跡のようである。
案内板は県道から少し西へ入った所にある。ここからさらに西へ進んでいくと「遊歩道入口」の道標があり、南東尾根からの登山道がある。(地図)
もう一つ、県道から畑となっている「城」を経由して登っていくことも可能であるが、いずれにしても入口付近には駐車場はない。
最寄り駅(直線距離)