築城年代は定かではないが南北朝時代には築かれていた。 観応2年・正平6年(1351年)北朝方の小笠原為経・武田文元らが『野尻城より馳参の処』とあるのが初見とされる。
戦国時代には高梨氏の勢力下となり、その後に上杉謙信の信越国境の要衝として境目の城となった。上杉氏によって重要視されると野尻湖の北に野尻城(新城)が築かれた。永禄7年(1564年)には武田氏によって落城するも、上杉氏はすぐさま取り戻している。
天正6年(1578年)上杉謙信が没して御館の乱が起こったときには、琵琶島善次郎が城主であった。
琵琶島城は野尻湖に浮かぶ琵琶島に築かれていた。現在は宇賀神社の境内となっており、観光遊覧船などで立ち寄ることができる。
琵琶島城は東西に長い島全体を城郭としていたようで、東端の最高所に宇賀神社が鎮座している。島のほぼ中央に堀切がある。土塁ははっきりしないが、参道の南側にやや高い地形がある。
この境内に越後国琵琶島城主の宇佐美定行(定満)の墓がある。これは越後国坂戸城主長尾政景を野尻湖で誅殺したことによるもので、案内板によれば上杉謙信が忠死に感激してその具足を埋めた経塚だと伝えられている。ただ野尻湖の場所に関しては諸説あるようである。
観光遊覧船があり、昼間は一時間に一回ほど運行している。この遊覧船が15分ほど停泊するので、この間に見て回ることができる。また、スワンボートなどを借りて自力で行くことも可能だが、お値段が意外と高い。
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