築城年代は定かではない。在地豪族の柴津為信の城ともいわれる。
永禄4年(1561年)武田軍が鰐ヶ岳城を攻め落としており、これがこの割ヶ岳城とも考えられている。
割ヶ岳城は柴津集落の北に聳える標高768mの城山山頂に築かれている。現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、北東から南西に伸びた尾根に曲輪を配している。主郭は北西側に土塁があり、南西に向かって三段程の曲輪がある。北東側は二重堀切の先にさらに一条の堀切があり、その先に土塁の付いた曲輪がある。そこから北へ伸びた尾根に小さな三条の堀切が付いている。
南西の麓には「姫の泣き石」、さらに北側に割ヶ岳城主の火葬場跡というのがある。
登山道入口は南の県道沿いにある。道標の西側から北の民家へと向かっていき、民家と民家の間を抜けて山へ入ると道が付いている。
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