信濃 大宮城しなの おおみやじょう

城郭放浪記


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信濃 大宮城の写真
掲載写真数
形態
山城(878m/120m)
別 名
三日市場城
文化財指定
村指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
沢渡氏
歴 史

築城年代は定かではないが沢渡氏(さわと)によって築かれたと云われる。 沢渡氏は仁科氏の庶流であるが、比較的早くより分流した一族とみられ、応永7年(1400年)大塔合戦に沢渡五郎の名が残る。

天文14年(1545年)から沢渡兵部盛方が領し、元亀元年(1570年)に武田氏に従って駿河国花沢城を攻め討死したと伝える。

天正10年(1582年)沢渡盛忠のときに武田氏が滅亡し、その後は松本城に復帰した小笠原貞慶に仕えた。 神明社本殿は、棟札によって天正16年(1588年)沢渡九八郎盛忠と牛乗父子の奉仕で造営されたことが知られる。 天正18年(1590年)小笠原氏は下総国古河城三万石に転封となり、沢渡氏もこれに従ってこの地を去った。

説 明

大宮城は三日市場の神明社の東背後にある標高878mの山頂に築かれている。 東西二郭の小城であるが、二重の横堀や連続竪堀を設けるなど、コンパクトにまとめた要害になっている。また西麓にある三日市館が沢渡氏の居館である。

大宮城は南北二郭の城で、東郭が西郭よりやや高く主郭とみられる。 東郭と西郭との間は空堀があり、その空堀は東郭の北側を横堀となって巡り東側の堀切まで通じる。西郭は周囲を帯曲輪が巡り、北側から西側に横堀が巡る。北側の横堀は東郭も含み、先の横堀と併せて二重となる。また西郭も西側では更に外側に横堀があり、こちらも二重になる。北側斜面には横堀から連続竪堀があり、一部の横堀は竪堀と連結されている。

東郭から東へ伸びた尾根は二条の堀切によって遮断する。西郭から西へ伸びる尾根にはいくつかの小段が付いている。

案 内

西側の中腹にある神明社が目印で、神社の東背後の山上が城址。道は付いていないが、良く管理された山で簡単に登ることができる。 神明社の案内板に大宮城に関する記述がある。

最寄り駅(直線距離)
2.0km 南神城駅
2.2km 神城駅
3.2km 飯森駅
4.2km ヤナバスキー場前駅
5.6km 簗場駅
所在地/地図
長野県北安曇郡白馬村大字神城三日市場
付近の城(直線距離)
0.6km 信濃 三日市場館
0.7km 信濃 内山大鹿山城
1.0km 信濃 茨山城
2.1km 信濃 飯田秋葉山砦
2.4km 信濃 沢渡城
3.1km 信濃 飯田城
3.2km 信濃 佐野城
3.2km 信濃 飯森城
6.1km 信濃 千見城
6.8km 信濃 藤城
7.3km 信濃 猿ヶ城(大町市)
7.5km 信濃 塩島城
7.8km 信濃 古山城
8.5km 信濃 馬曲城
8.8km 信濃 青鬼の城峯
9.2km 信濃 中野城
9.3km 信濃 西通山城
10.0km 信濃 立屋城
最終訪問日
2011年5月
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