築城年代は定かではないが延文年間(1356年〜1361年)に高橋義通によっ築かれたと云われる。
高橋氏は佐竹昌義の後裔といい、宇都宮氏に従っていたが、慶長2年(1597年)宇都宮国綱が改易され、高橋氏もまた衰退した。
高橋城は現在の高橋神社の南西側一帯に築かれていたという。現在は一面水田となっており遺構はないが、水田の一角に「小太郎塚」と呼ばれる塚があり、ここが本丸の一角と云われている。
高橋神社の西側の水田の中にポツンと塚があるのが見える。入口は西側の道路からで道標が付いている。
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