築城年代は定かではない。文明3年(1471年)には古河公方の勢力下にあり南持宗が城主であったと伝えられる。同年山内上杉の家臣長尾景信や景人らが樺崎城を攻め落とし、南持宗は討死した。
天正12年(1584年)小田原北条氏に攻められたときには、足利長尾氏の家臣秋間弾正が守っていた。
樺崎城は樺崎寺の東に聳える標高200m程の城山と呼ばれる山に築かれている。
主郭Iは山頂にあり、東西に長い楕円形で淵が若干高くになっている部分がある。主郭をほぼ全周するように帯曲輪IIがあり、主郭西端の虎口1のスロープで接続する。また東端北側の虎口2の部分も虎口の可能性がある。
東側はさらに下方に帯曲輪III、北西側にも腰曲輪IVがあり、脇には竪堀状地形がある。
尾根先、尾根背後ともに明確な堀は見当たらない。
西側にある樺崎八幡宮と樺崎寺跡は足利氏縁の史跡である。
樺崎八幡宮方面から登山道がついているが、踏跡程度で赤テープを参考に笹薮のなかを歩くような感じの道が大半でわかりづらい。
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