下野 足利城しもつけ あしかがじょう

城郭放浪記


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下野 足利城の写真
掲載写真数
形態
山城(251m/210m)
別 名
両崖山城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
藤姓足利氏,足利長尾氏
歴 史

築城年代は定かではないが天喜年間(1053年〜1058年)に足利成行によって築かれたのが始まりと伝えられる。

足利成行は藤原秀郷の六世の孫で天喜2年(1054年)に足利に入部して両崖山城を築き、藤姓足利氏の租となったという。

藤姓足利氏のあと、源姓足利氏が興り、鑁阿寺の地に足利氏館を構えて居館とした。文正元年(1466年)関東管領山内上杉家の重臣長尾景人が足利荘の代官として勧農城に入り、その後足利長尾氏が六代続いた。足利城が本郭的に整備されるのは戦国時代に入ってからで、 天正年間1573年〜1592年)長尾景長は足利城を改修して勧農城から足利城へと居城を移している。

天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、長尾顕長は小田原北条氏に従って小田原城へ籠城し、北条氏が降伏した後は所領を召し上げられた。

説 明

足利城は足利市街地の北に聳える標高251mの両崖山山頂に築かれている。 現在はハイキングコースとして整備されており、多くのハイカーが訪れている。

足利城は山頂の主郭から北、南、そして南西に伸びる尾根に曲輪と堀切を連ねている。 主郭は高い切岸に囲まれた山頂にあり神社が祀られている。西へ伸びる尾根に堀切を挟んで二段ほどの曲輪があり、南から東側に掛けて帯曲輪が付いている。

主郭から北へ伸びる尾根は主郭背後に大堀切を設けており、主郭側に若干石積が残る。北尾根は堀切で区画した二つの曲輪で、北端にも堀切を設けて遮断している。

主郭から南へ伸びた尾根は登山道としてよく利用されており、曲輪の形状が不明瞭であるが、南端にある展望台となった曲輪は岩盤を削った堀切が南北両側に付いている。

主郭の南西に伸びる尾根は自然地形が残った南北二段の大きな曲輪で、北西側へ伸びた尾根は浅い堀切、南へ伸びた尾根は大きな堀切によって遮断している。

案 内

足利市役所西側にある織姫公園に駐車でき、そこから登山道が山頂まで続いている。(地図)

最寄り駅(直線距離)
2.5km 足利駅
2.7km 足利市駅
3.3km 野州山辺駅
3.4km 山前駅
4.2km 東武和泉駅
所在地/地図
栃木県足利市本城1(両崖山)
付近の城(直線距離)
1.8km 下野 足利陣屋
1.8km 下野 足利氏館
1.9km 下野 五十部陣屋
2.7km 下野 富士山城
3.6km 上野 市場城
3.6km 下野 岩井山城
4.0km 上野 道原城
4.3km 下野 板倉城
4.3km 下野 小此木氏館
4.8km 下野 名草城
4.8km 下野 南氏館
4.8km 下野 本覚山城
4.9km 下野 樺崎城
4.9km 下野 中里城
5.0km 上野 宗金寺環濠遺構群
5.0km 上野 雀の宮屋敷
5.0km 上野 植木野城
5.1km 上野 只上の砦
5.4km 下野 八椚城
5.6km 上野 矢部城
5.6km 上野 富田館
6.0km 上野 矢場城
6.2km 上野 矢田堀城
6.6km 上野 今泉城
最終訪問日
2013年11月
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