築城年代は定かではないが滝聞氏によって築かれたと云われる。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて大前氏(おおくま)の一族の滝聞太郎道房が、倉丸(桑丸)三十町を領して滝聞城を居城としていたという。
建久元年(1190年)頃に滝聞道房は大村古城へ移り、その子孫は大村氏を称して続いが、延元元年(1336年)大村太郎は渋谷祁答院氏の一族吉岡正重に敗れて大村古城から滝聞城に退去し、堂山に住んだ。
滝聞城は富木川に面した比高50m程の独立丘陵に築かれている。
山頂付近には鎌倉時代末期からの石塔群が発掘復元され、五輪塔14基、宝篋印塔2基、宝塔5基などが復元された。
山頂の南側に浅い堀切が残っているが、山頂付近はそれほど明確には削平されていない。北へ向かって段々と削平地が続いている。
県道396号線沿いに案内板が設置されており、ここから山へ通じる道がある。