築城年代は定かではないが康治元年(1142年)以前に大前氏によって築かれたと云われる。
建久元年(1190年)頃には大前氏一族の滝聞道房が滝聞城より居城を移し、その子孫は大村氏を称した。 康永年間(1342年〜1344年)頃、渋谷祁答院氏の一族吉岡将重が攻め、大村太郎は滝聞城に退去した。
その後に桓武平氏秩父党の祁答院氏がこの一帯を支配したが島津氏に降った。
江戸時代には大村麓として南麓の大軣小学校の所に地頭仮屋が築かれた。 島津氏は一国一城令の江戸時代にあっても外城と呼ばれる麓制度で各拠点に武士を配置しており、その一つである。
大手道から登り途中を右に行くと二の丸、そのまま進むと水道施設があり本丸に出る。 その奥に向かうと三の丸があるらしいが辿り着けず。
市立図書館分館の所、交差点付近に案内板がある。 大軣小学校の西側にある路地を登ると標柱がありここが登山口。