築城年代は定かではないが西牟田氏によって築かれたと云われる。 島津義久の弟、島津金吾歳久を祖とする日置島津家の三代当主島津常久が家臣の西牟田氏に大村の所領を統治させた。このとき築いたのが西牟田城と云われる。
西牟田城は久富川の左岸、祁答院ゴルフ場の北東の丘陵に築かれている。主郭のすぐ近くまでゴルフ場となっているが、主郭から北東側一帯の城跡は良く残っている。
主郭は空堀を挟んで南北二郭で、空堀は西側に屈折がある。南の曲輪は東側に土塁が付いている。主郭から東、北側一帯に削平地が無数に連なり、通路や土塁、横堀状の遺構などが残っている。
上手小学校の南の県道391号線を西へ進んでいくと南側に公園がある。この公園から久富川に架かる橋を渡り山に取り付くことができる。