築城年代は定かではないが和田氏によって築かれたと云われる。 和田氏は源満政を祖とするとされるが、一説には佐々木六角氏の一族ともされ、後の15代将軍足利義昭を領内に匿った時の当主和田惟政は十八代という。
和田城を本城として和田支城i,和田支城ii,和田支城iii,公方屋敷,公方屋敷支城,棚田山城,殿山城などの城砦群を配置している。
足利義昭を匿った和田惟政は、その功によって芥川城主となり、その後高槻城主となった。惟政死後、子の和田惟長は没落して和田領も取り上げられたが、後に徳川家康に仕え旗本として旧領を回復し治めたという。
城は川の東側にある丘陵の西端に築かれている。 甲賀の他の城と同様に主郭には方形の土塁が巡らされているが、幅広で北側は低く、南側に向かってじょじょに高くなっている。主郭の西側にも削平地があり、南背後は空堀となっている。
「近江城郭探訪」では川沿いから山へ入るようになっているが、現在川沿いは草が生い茂っており山へ入るのに苦労する。
山へ入るには城の南側の通りに山の中腹にソーラーパネルを配置した家があり、その脇を通って山へ道が通じている。
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