近江 公方屋敷おうみ くぼうやしき
△トップに戻る
永禄8年(1565年)足利義輝が三好氏によって殺害されると、奈良興福寺にいた覚慶は細川藤孝の助けで甲賀へ脱出し和田氏によって公方屋敷へ匿われた。永禄10年(1567年)矢島へ移って還俗して義秋と名乗り、15代将軍となる。
和田城も参照。
城は殿山の南西にあって西側を除いた三方を高土塁によって囲まれている。土塁といっているが、見るかぎり尾根に囲まれた谷の中といった感じである。