築城年代は定かではないが平安時代に和田満政によって築かれたと云われる。
寿永3年・元暦元年(1184年)伊勢平氏平田四郎が兵を挙げて近江国へ侵入すると、 近江源氏の佐々木秀義がこれを迎え撃つために列血野に陣を布き、 平田四郎は殿山に陣を布き油日川を挟んで合戦となった。
城は公方屋敷のの北東にある殿山に築かれている。 現在山頂部は瓢箪形の平地があり忠魂碑が建てられているが、明確な遺構は残っていないという。階段から西側を見ると、北西部に延びた尾根に堀切があるが、城の遺構ではないのだろうか。
城山の北側の道路から忠魂碑まで石段がある。
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