築城年代は定かではない。高島七頭の一人越中(高島)氏の居城と伝えられる。
天正2年(1574年)浅井氏の重臣磯野員昌が織田信長に降ったのち、高島に所領が与えられ居城としたのが新庄城であった。
天正6年(1578年)磯野員昌が出奔すると織田信澄が高島領を支配し、後に大溝城を築いて居城を移した。
新庄城は現在の大善寺一帯に築かれていたと考えられている。
平地城館であり周囲には宅地や田畑が拡がり遺構はほぼ消滅しているが、大善寺の山門脇に案内板が設置されている。大善寺に隣接する水田の外側にあるのが土塁の名残のようである。