築城年代は定かではない。鎌倉時代末期に新瀬左衛門太郎の居館であった。
正中元年(1324年)南部師行が大光寺城を攻めた際には、新瀬氏は浅瀬石城主千徳氏とともにこれに加わり、大光寺城が落城した後は新瀬左近盛伊が大光寺城主となった。
延元元年(1336年)大光寺の残党曾我氏が反撃してきた際にこれを支えることができず、新瀬氏は城を捨てて逃れたという。
入瀬館は台地の北端に築かれていた。現在は墓地や宅地となっており明瞭な遺構は残っていない。付近の天内館や高木地蔵館などと同じく台地の端に築かれており、この地形が要害を築くのに適した場所であったのは確かであったようである。