築城年代は定かではない。
鎌倉時代末期に田舎館郡の地頭代であった工藤右衛門貞行の居城に比定されている。 工藤氏の津軽入部の経緯は定かではないが、嘉暦元年(1326年)安東氏の内乱に際して角間ら幕府は工藤祐貞を派遣して乱を沈め、安東李長を捕虜として帰還している。
黒石城は黒石陣屋が黒石城と呼ばれていたこともあり、旧黒石城とも呼ばれている。 天和4年の境松村絵図によれば、黒石城は外広市館・内広市館と東西に並び、南の花館とあわせて三郭で構成されていたようである。
現在の境松集落の部分よりやや低地の所に、外広市館・内広市館部分が残っており宅地になっているようである。南にあったとされる花館は残っていない。
黒石市街地から県道38号線沿いに境松駅を目指すと駅の150m程東側に南に曲がる道がある。この部分に石碑が建てられている。
最寄り駅(直線距離)