陸奥 天内館むつ あまないだて
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築城年代は定かではないが天内治右衛門によって築かれたと云われる。 天内氏は浅瀬石城主千徳左衛門政久の家臣で40石を領し天内館を居館としたという。
天内館は浅瀬石城の支城で慶長元年(1596年)浅瀬石城落城にともに廃城となったという。
天内館は台地の北端部に築かれており、三郭で構成されかつては土塁と空堀が残っていたというが、現在は田畑や宅地となっている。 天内館の標柱の建つ畑地の所は、切岸加工のような地形が残り、それとなく館跡の雰囲気は残っている。