築城年代は定かではない。安元元年(1175年)に藤原秀衡が館を築き、文治5年(1189年)の奥州合戦で藤原氏の軍勢が立て籠もって鎌倉勢を迎え撃ったと伝えられる。
南北朝時代の観応の擾乱では名取郡羽黒城や名取要害の名があり、これが高館のことと考えられている。
永禄年間(1558年〜1570年)には伊達稙宗が一時居城し、家臣の福田駿河守を城代に置いたと云われる。
高館城は熊野那智神社が鎮座する高舘山の東峰、標高182mの山に築かれている。
主郭は山頂にあり、南北に長い大きな曲輪で西に高土塁があり、虎口は東中央と南東隅にある。南東隅の虎口は折れを伴う虎口、東中央の虎口は直線であるが、北側の曲輪から横矢が掛かるようになっている。主郭の周りを東之丸、北之丸、西之丸、南之丸といった曲輪群が取り巻いているが、東之丸は他より一段高く、先の本丸中央虎口に対する通路に横矢が掛かる位置にある。
南尾根には藤原秀衡の名が付いた秀衡が崎という曲輪があり、南之丸との間は林道になっている。北之丸から北東へ伸びた尾根は北側に横堀が付いていおり、先端の堀切まで続いている。北尾根や北西尾根などは二重堀切によって遮断しており、南尾根の林道となっている部分などを併せると東側を除く背後は全て堀切で遮断している。
那智が丘小学校から那智が丘公民館の方へ向かっていくとそのまま熊野那智神社まで車で行くことができる。この途中に高館城の案内板があり、林道に従って行くと城内に至る。
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