寛永4年(1627年)伊達政宗によって築かれたが、それ以前には国分氏の城があったと云われる。
伊達政宗が隠居城として幕府に願い出て許可されたのが若林城で、寛永4年(1627年)に築城を開始して翌寛永5年に政宗が入城した。寛永13年(1636年)政宗が江戸の屋敷で没すると、若林城は一重の堀を残して廃城となった。
若林城は現在宮城刑務所の敷地となっている。 周囲の土塁と堀跡は比較的良好に残っているが、場所が場所だけに周囲を見て歩くことしかできない。
石碑と案内板は北側の道路沿いに設置されている。東側の道路沿いからは堀と土塁を見ることができる。